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自分に勝つカギ 前編   山脇久治 (スタッフ)

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」 第二コリント5:17

自分に勝てない自分
 父は大酒飲みで家庭を顧みない人でした。小さい時からそのような父を見て育った私は、「決して父のようにはなりたくない!母を助け、妹に良くしてやりたい。」と考えていました。53年も前の事です。私は自分に敗北している人を見ると、「何と意志の弱い、愚かな人だ」と思っていました。ですから、私は仕事をするようになってからもタバコを吸わず、真面目に働いていました。また、自分は意志の強い人間だと誇っていました。職場でも、家の近所の人達からも、私は良い青年だと見られていたのです。
 ところが・・・、私は会社の同僚に誘われて会社の部品を盗み出し、組み立て、それを売って金に換えるという恐ろしい罪を犯してしまったのです。またある日、私を喜ばせたいと願って母が作ってくれたぜんざいを、テーブルごとひっくり返してしまったこともあります。母は、涙を流しながら、黙って片づけをしていました。
 この二つの出来事だけでなく、私は、母や妹を苦しめたのです。人の前では自分を良く見せ、家族に対してはまるっきり正反対だったのです。そして、自分に敗北し続ける度に悩み、悶える日々が続きました。

救いに与る
 そのような日々を送る中で、妹がイエス・キリストを信じて救われました。今までとは全く変わってしまったのです。母のために、私のために、どんなに良くしてくれたか、今でも憶えています。わがままで勝手な私の要求にも、文句も言わずにするのです。近所の子どもたちを集めて主を伝え、よく世話をするようになったのです。
 続いて母も主を信じて新生しました。苦労の多かった母は重荷下ろして、主をほめたたえる日々を送るようになりました。父に対する今までの怒り、憎しみをすべて赦したのです。どうしてそんなことが出来るのか、私には不思議なことでした。しかし、母と妹の大変化は私には関係がないと思っていました。教会の兄姉や母や妹は、頑固な私が救われるために切に祈ってくれたのです。
 祈りに応えられる主は、一人のアメリカ人宣教師を遣わし、家の近くの広場で路傍伝道集会を開きました。私は、その集会を後ろの方で聞いていたのですが、「イエス・キリストを信じるなら、すべての罪は赦され、古いものは過ぎ去って新しくなれる」と言うのです。「この救い主イエスを信じませんか」と招き決心者を募ったのです。手を上げた私のために、宣教師は頭に手を置いて祈ってくれました。私の目から涙が流れていました。心がすべて洗われた喜びでいっぱいでした。父に対して抱いていた憎しみは消え、赦すことができました。母と妹に対しても、私のしてきたすべての言行を悔い改め、赦しを乞うことができました。イエス・キリストは私のすべての罪と赦し、罪の奴隷であった私を解放してくださいました。救い主イエス・キリストを信頼することが、「自分に勝つ」ことの第一であることを発見させていただいたのです。

パウロの葛藤を体験する
 主を信じた私は、もうこれで自分は自分に負けることはないと思っていたのですが、実際には「自分がしたいと思う善を行わないで、かえってしたくない悪をおこなってしまう」(ローマ7:15)のです。祈ろうと願いながら祈れないのです。御言葉を読むことより、つまらない本を読んでいるのです。メッセージを聞くけれど、御言葉に従うことができないのです。かえって神に喜ばれない生活をしてしまうのです。絶えず自分の内からは、悪い考えが出てくるのです。ねたみ、そしり、高ぶりが自分を支配するのです。そればかりか、外からの誘惑にも簡単に負けてしまうのです。「ああ、私はダメだ・・・」と嘆く日々が続きました。「よし、頑張って打ち勝つぞ!」と力めば力むほど、できない自分に挫折するのです。ローマ7章15節から24節のパウロの葛藤を体験しました。

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