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新しい記事
ご父兄の皆様へ

子どもたちの犯罪が低年齢化しています
私たちも非常に心を痛めております
私たちはこの解決のために
お友達が、聖書と、聖書の真の神を知ることによって、愛することを学び、
また、聖書によって、何が正しいか、何が間違っているかを教え、
誘惑と罪に満ちたこの社会を、しっかりと生き抜くことができるよう
このJワンの働きをすすめています。

第四日曜日、礼拝後、Jワンスタッフが集まり、
毎回お友達のために祈り、熱い話し合いが持たれています。
初めて礼拝へ来てくださる方へ
1.礼拝について (日曜日 午前10時30分〜11時10分)
礼拝や宗教儀式は、お勤めではありません。
今も生ける神様に向かってよろこんでささげられるものです。
受付の係の人が、聖書と賛美歌(聖歌)を貸してくれて席に案内
してくださいます。
クリスチャンの人が、聖書の 開き方や、賛美の箇所を教えて下さ
いますので、 一緒に賛美や聖書のお話をお聞き下さい。
礼拝は、神様とあなたとが向き合うひとときです。
心を天の神様に向けて周囲の雑念から解放されましょう。
周囲の人とか、現実諸問題からも目を離し、
真実で変わらない救い主イエス様に心を向けて礼拝しましょう。
2.分級について (信徒クラスと初心者クラスに別れます。)11時10分〜12時
(初めてのクラス)では、聖書とは、真の神様とは、人間の本当の姿とは、
聖書が約束する救いとは等を、分かりやすくお話するクラスです。
(イエスと出会うクラス)でお話を聞いていただくこともできます。
すでに、クリスチャンの方は、信徒クラス(栄光クラス)の方で、
聖書のメッセージを聞いていただきます。
中学、高校生、大学生、若者クラス(ビジョンクラス)も、同時に
分級して聖書の話を聞きます。
小さいお子さん方も親子で出席されて、それぞれのクラスで聖書を学ばれることを
お勧めいたします。
3.牧師のメッセージ(説教)について
礼拝のいのち、中心ともいうべきもので神様の言葉、聖書の言葉の
解き明かしです。単なる牧師の生活雑感ではありません。
それですから、「今まさに、神様がわたしに語られる大切なメッセージ」として聞いて
受け入れて下さい。
4.献金について
献金は私たちにすべての必要を満たして養い、守って下さる神様に対し、
感謝と喜びをもって神様に捧げる捧げ物です。
特に、神様の御子イエス・キリスト様によって永遠のいのちを与えて下さった
神様への感謝をもって捧げるのが献金です。
献金は、入場料とか、聴講料とか、お賽銭(おさいせん)ではありません。
また、決して強制ではなく自主的に捧げるものです。
神様は喜んで与えてくれる人を愛して下さいます。
5.礼拝後・・・
教会の兄弟姉妹が声をかけて、話しかけて来ますのであいさつを交わし、
もし、よろしければご自分から積極的に交わるようにして下さい。
静かにそっとして欲しい方は、そのようにお伝え下されば結構です。
6.その他、礼拝でよく使う言葉と意味
「ハレルヤ」 = 主をほめたたえよ。
「アーメン」 = その通りです。
「兄弟姉妹」 = イエス・キリストにある神の家族である兄弟姉妹。
「あがない」 = 代価を払って買い戻す。特に、全人類の罪を赦すために
神の御子イエスキリストが、十字架でご自身の血(代価)
を流されたことによってもたらされた救いを意味する。
救われた喜び 榎本 岩夫
私は明石キリスト教会に導かれたのは昭和29年春の頃でした。日々の歩みの中で何も考えることも無く何となく過ごしている毎日でした。職場にあっても表面に出しませんでしたが何となく憂鬱な毎日を過ごしていました。そんなある日、友人が私のことを気づき一冊の本(聖書)をくれました。そして教会に行くよう進められました。
自宅が教会の近くあり十字架を見上げながら会社に勤めておりました。しかし私の心は固く教会に行くことを拒んでいました。ある日の夜、(日曜日)知らずに教会の門をくぐっていました今思うと神様の導きであったと思います。伝道集会の夜でした何も分かりませんでしたが兄姉の暖かいもてなしと、先生の「良くいらっしゃいました」との言葉に心に安らぎがありました。それからは教会に心が引かれ、ある時、聖書の言葉が私の心に語りかけられました。マタイ4:4イエスは答えて言われた「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」と書いてある。このみ言葉によって私は変えられました。
今までは誰からも批判されないで自分の道をしっかりと進んでいく事が私にとって大切であると思っていましたが、もっと自分にとって必要なことは神様のみことばをしっかりと心に蓄えて主に従って行くことを知りました。そして結婚、クリスチャン家庭を建設し、信仰生活を今日まで歩んできました。残されている期間はどれだけか分かりませんが、信仰の創設者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。と語られている主に愛をもって仕えて行きたいと願っています。
自宅が教会の近くあり十字架を見上げながら会社に勤めておりました。しかし私の心は固く教会に行くことを拒んでいました。ある日の夜、(日曜日)知らずに教会の門をくぐっていました今思うと神様の導きであったと思います。伝道集会の夜でした何も分かりませんでしたが兄姉の暖かいもてなしと、先生の「良くいらっしゃいました」との言葉に心に安らぎがありました。それからは教会に心が引かれ、ある時、聖書の言葉が私の心に語りかけられました。マタイ4:4イエスは答えて言われた「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」と書いてある。このみ言葉によって私は変えられました。
今までは誰からも批判されないで自分の道をしっかりと進んでいく事が私にとって大切であると思っていましたが、もっと自分にとって必要なことは神様のみことばをしっかりと心に蓄えて主に従って行くことを知りました。そして結婚、クリスチャン家庭を建設し、信仰生活を今日まで歩んできました。残されている期間はどれだけか分かりませんが、信仰の創設者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。と語られている主に愛をもって仕えて行きたいと願っています。
イエス様に変えられた私 船越 武司
私はずっとキリスト教を知らないまま育ったので、小さい時から罪を犯してきました。小学3年の時から盗みをしたり、中学からはツッパリだったのでタバコを吸ったり、酒を飲んだり、夜中遅くまでグループの仲間とブラブラしけんかをしたりして、私の心の中は罪でいっぱいでした。社会人になってから自動車会社に入社しましたが、ロボットみたいでむなしい生活でした。そして、土日はいつもパチスロに通っていました。その頃、同級生の田辺敏治さんからキリストのことを聞いて、明石キリスト教会に行ってみました。神のことばを聞いてすばらしい思い、聖書も買いました。けれども聖書を盗まれてしまい、教会に行くのをあきらめてやめてしまいました。23才から、また自分のことばかりの生活をし、神からはなれて私は勝手な生活をしていました。
去年の12月頃、妻がイエス様を信じるようになり、私は22才の時に聞いたイエス様のことを、いつも忘れないでいました。ボチボチ教会へ通う時、ちょうどその頃、私は仕事の関係で腰を悪くし、仕事を退職しました。家にいる時間がたくさんあるので、私はパチスロに毎日通っていましたが、むなしい気持ちでいっぱいでした。日曜日には、妻と一緒に教会に行き、みことばを聞いて神様のことがわかるようになり、兄姉の交わりをしていて、だんだん教会はいいなあ、と思うようになりました。イエス様が私の罪のために十字架にかかってくれ、3日目によみがえって、今も生きていることを信じます。聖書を読んで落ち着きが与えられます。このみことばのいう通りにしていきたいです。また、交わり会でくわしく神様のことを知るようにしていきたいです。
神様への思いで心はいっぱいで平安です。これからは、神様の前にへりくだり従っていきたいです。神様が私に健康と力を与えてくださり、仕事ができていることも、とてもうれしいです。毎日、神様に祈る時、とてもありがたい気持ちになります。また、賛美を歌っていると心がよろこびでいっぱいになります。
イエス様に感謝します。アーメン
去年の12月頃、妻がイエス様を信じるようになり、私は22才の時に聞いたイエス様のことを、いつも忘れないでいました。ボチボチ教会へ通う時、ちょうどその頃、私は仕事の関係で腰を悪くし、仕事を退職しました。家にいる時間がたくさんあるので、私はパチスロに毎日通っていましたが、むなしい気持ちでいっぱいでした。日曜日には、妻と一緒に教会に行き、みことばを聞いて神様のことがわかるようになり、兄姉の交わりをしていて、だんだん教会はいいなあ、と思うようになりました。イエス様が私の罪のために十字架にかかってくれ、3日目によみがえって、今も生きていることを信じます。聖書を読んで落ち着きが与えられます。このみことばのいう通りにしていきたいです。また、交わり会でくわしく神様のことを知るようにしていきたいです。
神様への思いで心はいっぱいで平安です。これからは、神様の前にへりくだり従っていきたいです。神様が私に健康と力を与えてくださり、仕事ができていることも、とてもうれしいです。毎日、神様に祈る時、とてもありがたい気持ちになります。また、賛美を歌っていると心がよろこびでいっぱいになります。
イエス様に感謝します。アーメン
イエス様に愛されている私 播磨 治子
私はいつも自分が頑張らなければと、頑張る生活を続けていました。しかし、頑張っているのに、何か先の事を考えると不安でいつも満たされないものを感じていました。
そのような生活をしている中で、妹が教会に導かれ救われたことがきっかけで、妹に勧められて教会に通うようになりました。初めは教会の雰囲気に馴染めず、続ける自信がありませんでしたが聖書の学びを受けてみたいと希望して、学びを受けることが出来ました。
その学びの中で、自分が罪人であること、イエス様が私のような者の為に十字架にかかり身代わりとなって下さったことを知りました。今までのすべての罪を悔い改め、イエス様を信じ救われました。
救われてからの私は、このような私でも神様は愛してくださる。また、愛されている存在であることを知りました。そして、今の生活は毎日感謝と平安で満たされています。世間の人の目を気にする事無く、神様を意識し、神様を喜ぶ生活をすることが出来ています。
神様を知らない人に、この喜びを知ってほしいと、いつも思っています。
そのような生活をしている中で、妹が教会に導かれ救われたことがきっかけで、妹に勧められて教会に通うようになりました。初めは教会の雰囲気に馴染めず、続ける自信がありませんでしたが聖書の学びを受けてみたいと希望して、学びを受けることが出来ました。
その学びの中で、自分が罪人であること、イエス様が私のような者の為に十字架にかかり身代わりとなって下さったことを知りました。今までのすべての罪を悔い改め、イエス様を信じ救われました。
救われてからの私は、このような私でも神様は愛してくださる。また、愛されている存在であることを知りました。そして、今の生活は毎日感謝と平安で満たされています。世間の人の目を気にする事無く、神様を意識し、神様を喜ぶ生活をすることが出来ています。
神様を知らない人に、この喜びを知ってほしいと、いつも思っています。
自分に勝つカギ 前編 山脇久治 (スタッフ)
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」 第二コリント5:17
自分に勝てない自分
父は大酒飲みで家庭を顧みない人でした。小さい時からそのような父を見て育った私は、「決して父のようにはなりたくない!母を助け、妹に良くしてやりたい。」と考えていました。53年も前の事です。私は自分に敗北している人を見ると、「何と意志の弱い、愚かな人だ」と思っていました。ですから、私は仕事をするようになってからもタバコを吸わず、真面目に働いていました。また、自分は意志の強い人間だと誇っていました。職場でも、家の近所の人達からも、私は良い青年だと見られていたのです。
ところが・・・、私は会社の同僚に誘われて会社の部品を盗み出し、組み立て、それを売って金に換えるという恐ろしい罪を犯してしまったのです。またある日、私を喜ばせたいと願って母が作ってくれたぜんざいを、テーブルごとひっくり返してしまったこともあります。母は、涙を流しながら、黙って片づけをしていました。
この二つの出来事だけでなく、私は、母や妹を苦しめたのです。人の前では自分を良く見せ、家族に対してはまるっきり正反対だったのです。そして、自分に敗北し続ける度に悩み、悶える日々が続きました。
救いに与る
そのような日々を送る中で、妹がイエス・キリストを信じて救われました。今までとは全く変わってしまったのです。母のために、私のために、どんなに良くしてくれたか、今でも憶えています。わがままで勝手な私の要求にも、文句も言わずにするのです。近所の子どもたちを集めて主を伝え、よく世話をするようになったのです。
続いて母も主を信じて新生しました。苦労の多かった母は重荷下ろして、主をほめたたえる日々を送るようになりました。父に対する今までの怒り、憎しみをすべて赦したのです。どうしてそんなことが出来るのか、私には不思議なことでした。しかし、母と妹の大変化は私には関係がないと思っていました。教会の兄姉や母や妹は、頑固な私が救われるために切に祈ってくれたのです。
祈りに応えられる主は、一人のアメリカ人宣教師を遣わし、家の近くの広場で路傍伝道集会を開きました。私は、その集会を後ろの方で聞いていたのですが、「イエス・キリストを信じるなら、すべての罪は赦され、古いものは過ぎ去って新しくなれる」と言うのです。「この救い主イエスを信じませんか」と招き決心者を募ったのです。手を上げた私のために、宣教師は頭に手を置いて祈ってくれました。私の目から涙が流れていました。心がすべて洗われた喜びでいっぱいでした。父に対して抱いていた憎しみは消え、赦すことができました。母と妹に対しても、私のしてきたすべての言行を悔い改め、赦しを乞うことができました。イエス・キリストは私のすべての罪と赦し、罪の奴隷であった私を解放してくださいました。救い主イエス・キリストを信頼することが、「自分に勝つ」ことの第一であることを発見させていただいたのです。
パウロの葛藤を体験する
主を信じた私は、もうこれで自分は自分に負けることはないと思っていたのですが、実際には「自分がしたいと思う善を行わないで、かえってしたくない悪をおこなってしまう」(ローマ7:15)のです。祈ろうと願いながら祈れないのです。御言葉を読むことより、つまらない本を読んでいるのです。メッセージを聞くけれど、御言葉に従うことができないのです。かえって神に喜ばれない生活をしてしまうのです。絶えず自分の内からは、悪い考えが出てくるのです。ねたみ、そしり、高ぶりが自分を支配するのです。そればかりか、外からの誘惑にも簡単に負けてしまうのです。「ああ、私はダメだ・・・」と嘆く日々が続きました。「よし、頑張って打ち勝つぞ!」と力めば力むほど、できない自分に挫折するのです。ローマ7章15節から24節のパウロの葛藤を体験しました。
自分に勝つカギ 後編を読む
山脇久治師の紹介を読む
自分に勝てない自分
父は大酒飲みで家庭を顧みない人でした。小さい時からそのような父を見て育った私は、「決して父のようにはなりたくない!母を助け、妹に良くしてやりたい。」と考えていました。53年も前の事です。私は自分に敗北している人を見ると、「何と意志の弱い、愚かな人だ」と思っていました。ですから、私は仕事をするようになってからもタバコを吸わず、真面目に働いていました。また、自分は意志の強い人間だと誇っていました。職場でも、家の近所の人達からも、私は良い青年だと見られていたのです。
ところが・・・、私は会社の同僚に誘われて会社の部品を盗み出し、組み立て、それを売って金に換えるという恐ろしい罪を犯してしまったのです。またある日、私を喜ばせたいと願って母が作ってくれたぜんざいを、テーブルごとひっくり返してしまったこともあります。母は、涙を流しながら、黙って片づけをしていました。
この二つの出来事だけでなく、私は、母や妹を苦しめたのです。人の前では自分を良く見せ、家族に対してはまるっきり正反対だったのです。そして、自分に敗北し続ける度に悩み、悶える日々が続きました。
救いに与る
そのような日々を送る中で、妹がイエス・キリストを信じて救われました。今までとは全く変わってしまったのです。母のために、私のために、どんなに良くしてくれたか、今でも憶えています。わがままで勝手な私の要求にも、文句も言わずにするのです。近所の子どもたちを集めて主を伝え、よく世話をするようになったのです。
続いて母も主を信じて新生しました。苦労の多かった母は重荷下ろして、主をほめたたえる日々を送るようになりました。父に対する今までの怒り、憎しみをすべて赦したのです。どうしてそんなことが出来るのか、私には不思議なことでした。しかし、母と妹の大変化は私には関係がないと思っていました。教会の兄姉や母や妹は、頑固な私が救われるために切に祈ってくれたのです。
祈りに応えられる主は、一人のアメリカ人宣教師を遣わし、家の近くの広場で路傍伝道集会を開きました。私は、その集会を後ろの方で聞いていたのですが、「イエス・キリストを信じるなら、すべての罪は赦され、古いものは過ぎ去って新しくなれる」と言うのです。「この救い主イエスを信じませんか」と招き決心者を募ったのです。手を上げた私のために、宣教師は頭に手を置いて祈ってくれました。私の目から涙が流れていました。心がすべて洗われた喜びでいっぱいでした。父に対して抱いていた憎しみは消え、赦すことができました。母と妹に対しても、私のしてきたすべての言行を悔い改め、赦しを乞うことができました。イエス・キリストは私のすべての罪と赦し、罪の奴隷であった私を解放してくださいました。救い主イエス・キリストを信頼することが、「自分に勝つ」ことの第一であることを発見させていただいたのです。
パウロの葛藤を体験する
主を信じた私は、もうこれで自分は自分に負けることはないと思っていたのですが、実際には「自分がしたいと思う善を行わないで、かえってしたくない悪をおこなってしまう」(ローマ7:15)のです。祈ろうと願いながら祈れないのです。御言葉を読むことより、つまらない本を読んでいるのです。メッセージを聞くけれど、御言葉に従うことができないのです。かえって神に喜ばれない生活をしてしまうのです。絶えず自分の内からは、悪い考えが出てくるのです。ねたみ、そしり、高ぶりが自分を支配するのです。そればかりか、外からの誘惑にも簡単に負けてしまうのです。「ああ、私はダメだ・・・」と嘆く日々が続きました。「よし、頑張って打ち勝つぞ!」と力めば力むほど、できない自分に挫折するのです。ローマ7章15節から24節のパウロの葛藤を体験しました。
自分に勝つカギ 後編を読む
山脇久治師の紹介を読む
自分に勝つカギ 後編 山脇久治 (スタッフ)
前編がまだの方は前編から読まれるとわかりやすいと思います。
自分に勝つカギ 前編を読む
・自分に勝つ三つのカギ
あわれみ深い主は、常に「自分(生まれながら古い性質)に勝つ」ことのできるいくつかのカギを与えてくださいました。
その第一は、へりくだることです。主はパウロに「わたしの恵みはあなたに十分である。というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。また、「ですから、私はキリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(第二コリント12:9)とパウロが言っていることの中に、私にも、「自分に勝つカギ」を主はくださっていることを知ったのです。弱いのに強いと思っている時に、自分に敗北していたのです。知性も感情も意思も弱く、欠けだらけの自分を常に覚えて、ひたすらキリストの力が私を覆っていだだける恵みに与る時、私もパウロと同じように「弱い時にこそ強い」と勝利者にしていただけたのです。これは、一日だけでなく、日々主の前にひれ伏して、この恵みに与ってきました。
第二は、御言葉によって生きることです。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」(マタイ4:4)40日、40夜の断食、まさに死を前にした空腹でした。主は、自らの弱さとサタンの誘惑に勝利されました。私が、自分に勝つことのできる第二のカギは、御言葉を食べ、御言葉によって強められて生きることです。朝のディボーションで御声を聞き、教えられ、励まされ、強められ、導かれています。朝は新約聖書を第二章通読、夜は旧約聖書を三章通読(聖書通読ノートに記入)し、暗唱聖句、聖書研究とほとんど御言葉づけの毎日です。御言葉によって生きる時、自分に打ち勝つ人となれるだけでなく、良い働きをすることができる者として整えられ、用いていただけることを体験しています。はじめからこのようにできたのでなく、長いクリスチャン生活の中で習慣づけられ、御言葉によって歩み、満たされ、導かれて生きることです。
「私は言います。御霊によって歩みなさい。」そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」(ガラテヤ5:16 新改訳)「御霊に満たされなさい。」(エペソ5:18 新改訳)
私は、毎日内におられ共におられる御霊を自覚し、認め、心から歓迎し、信頼します。挨拶し、ほめたたえます。御霊が私を全く支配されるように祈るのです。いつでも何かを語られるなら、みずから日々勝利するものであるだけでなく、御霊は御霊の実を結ばせて下さいます。神との関係の中で、愛、喜び、平安の実を。他者との関係の中で寛容、親切、善意能の実を。そして、自分に対して、誠実、柔和、自制に実を結ばせてくださいます。そして、私は自分に打ち勝つだけでなく、キリストに似た者と変えられ続けていきます。内におられ、共に歩み、助け、教え、導き、慰め、励ましてくださる御霊を心からほめたたえます。
山脇久治師の紹介を読む
自分に勝つカギ 前編を読む
・自分に勝つ三つのカギ
あわれみ深い主は、常に「自分(生まれながら古い性質)に勝つ」ことのできるいくつかのカギを与えてくださいました。
その第一は、へりくだることです。主はパウロに「わたしの恵みはあなたに十分である。というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。また、「ですから、私はキリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(第二コリント12:9)とパウロが言っていることの中に、私にも、「自分に勝つカギ」を主はくださっていることを知ったのです。弱いのに強いと思っている時に、自分に敗北していたのです。知性も感情も意思も弱く、欠けだらけの自分を常に覚えて、ひたすらキリストの力が私を覆っていだだける恵みに与る時、私もパウロと同じように「弱い時にこそ強い」と勝利者にしていただけたのです。これは、一日だけでなく、日々主の前にひれ伏して、この恵みに与ってきました。
第二は、御言葉によって生きることです。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」(マタイ4:4)40日、40夜の断食、まさに死を前にした空腹でした。主は、自らの弱さとサタンの誘惑に勝利されました。私が、自分に勝つことのできる第二のカギは、御言葉を食べ、御言葉によって強められて生きることです。朝のディボーションで御声を聞き、教えられ、励まされ、強められ、導かれています。朝は新約聖書を第二章通読、夜は旧約聖書を三章通読(聖書通読ノートに記入)し、暗唱聖句、聖書研究とほとんど御言葉づけの毎日です。御言葉によって生きる時、自分に打ち勝つ人となれるだけでなく、良い働きをすることができる者として整えられ、用いていただけることを体験しています。はじめからこのようにできたのでなく、長いクリスチャン生活の中で習慣づけられ、御言葉によって歩み、満たされ、導かれて生きることです。
「私は言います。御霊によって歩みなさい。」そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」(ガラテヤ5:16 新改訳)「御霊に満たされなさい。」(エペソ5:18 新改訳)
私は、毎日内におられ共におられる御霊を自覚し、認め、心から歓迎し、信頼します。挨拶し、ほめたたえます。御霊が私を全く支配されるように祈るのです。いつでも何かを語られるなら、みずから日々勝利するものであるだけでなく、御霊は御霊の実を結ばせて下さいます。神との関係の中で、愛、喜び、平安の実を。他者との関係の中で寛容、親切、善意能の実を。そして、自分に対して、誠実、柔和、自制に実を結ばせてくださいます。そして、私は自分に打ち勝つだけでなく、キリストに似た者と変えられ続けていきます。内におられ、共に歩み、助け、教え、導き、慰め、励ましてくださる御霊を心からほめたたえます。
山脇久治師の紹介を読む
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